医学部志望が決まっていた私は、高校入学と同時に両親の奨めもあって予備校に通い始めました。同じような志望の友人の中にも、高校の合格発表後そのまま塾の先取り講座に通い続ける人がいたので、特に疑問も持ちませんでした。
高校生活が始まると、学校と予備校の両立は時間的にも精神的にもきついと分かりました。中学校までの学校や塾と比較すると、授業以外の予習や復習が思った以上に必要だったことが一番の原因です。次第に授業中に寝てしまうことも増え、自分が続けている勉強に意味があるのかと疑問を持ち始めました。
きつさが増す一方だったので、学年が上がると勉強のやり方を変えさせて欲しいと両親に何度かお願いしました。しかし、代わりの方法を決めずに予備校をやめるのは不安だと言われ、良い返事がもらえることはありませんでした。どうすれば良いか自分でも分からないまま、成績は学校でも下がっていました。自分の要領が悪いのか、努力が足りないのか、努力しても無理な状況なのか、判断できなくなって後ろ向きな気持ちになることが増えました。また、どうしても成績や勉強の話題になって喧嘩のようになるので、家では家族との会話を避けるようになっていました。
そんなある日、父が知り合いから紹介されたという個別指導の話を持ってきました。最初は、予備校の代わりに個別指導という提案だと思いました。ところが、詳しく聞くと、予備校の内容をしっかりこなせるようにサポートで個別指導を追加するという話だと分かりました。当然、私は強く反対をしました。ずっと伝えてきたことが何も伝わっていないと感じ、父に怒りすら沸きました。絶望と、もうどうでもいいという気持ちの中、ほとんど無理やり個別指導の体験授業が決まりました。
そんな状況なので、体験授業では嫌々な感情が滲み出ていたと思います。当日までの間にも、何とか断れないか?とずっと考えていました。迎えた当日、先生が特に優しく何かを察してくれたわけではないのですが、私は今までの出来事を先生に話しました。既に学校と予備校の両立がきつすぎたので、個別だけにしようと言ってもらえるのではないかという期待があったのです。予備校の個別ではなく個人の先生だったことも、期待を加速させました。さらに、個別なら何か理由をつけてやめさせてもらえるかもという考えすらありました。
私の話を聞いた先生は、意外なことに、予備校をすぐにやめて個別指導に絞ることに反対されました。理由を色々と言われたのですが、負担を軽くする道を閉ざされた私は茫然となってしまって、実は会話の内容はほとんど覚えていません。「方法を探してみよう」というようなことを言われたのだけ覚えています。自分であれこれ判断ができなくなった状況で、積極的に受け入れたわけでも拒んだわけでもなく、個別指導が始まりました。
先生との学習では最初に、学校を最大限利用するよう指導されました。授業中には扱わないけれどテスト範囲には指定される学校の問題集を、定期考査前だけでなく普段から解くことになりました。まず数学からスタートし、物理、化学と広げました。これは、当時の私には負担増以外の何物でもなく、かなりの苦痛でした。授業の予習復習以外にそんな発展的なことをする余裕など無いと思っていたからです。また、予備校の取り組みに関しても、最初の内は特に何かを変えるように指導された記憶はありません。稀に、やっている内容を聞かれてテキストを見せることはありましたが、それについて何か指示されることはありませんでした。今までと何かが変わった実感もなく、何かが変わる予感もせず、ただ余計な取り組みが増えただけで、父に対しても先生に対しても憎く思うことが多かったです。
ところが、ある程度すると、普段から学校の問題集を解くのがそれほど負担に感じなくなり始めました。同時に、学校の授業で扱う教科書やプリントと問題集のレベルは、全く同じだと感じるようになりました。もちろん章末問題などの中には問題集の方が難しいものまでのっています。しかし、先生から取り組むよう指示された部分は教科書レベルばかりに見えてきました。今まで教科書レベルくらいはやっているつもりでいて、実際はそうではなかったのだと思います。結果的に、定期考査前に対策に追われる時間が少なくて済むようになりました。それ以外にも、学校で新しく習う分野の話を聞け、その後の全体像の把握に役立ちました。
学校で余裕ができた頃、予備校の内容に触れる機会が個別指導の時間にも少しずつ作られました。予備校テキストの問題は、学校配布の問題集よりもさらに上のレベルで完全に別物、全くつながっていないと当初の私は感じていました。しかし、一見別物に見えるが内容に大きな断絶があるわけじゃないと先生に言われ、終わった部分を中心に復習的に取り組む学習がスタートしました。理解度によっては、他の教材に戻ってチェックをすることもありました。
この演習は、学校内容の徹底よりさらに時間がかかり、正しいことができているのだろうか?と不安になる期間が改めてありました。学校内容の徹底を一緒にやってくれた先生の促しでなければ続けることができなかったと思います。実は、個別指導を言い出した当の父がこの時期に結果が出ないことにまた不安を募らせ、別の方法を模索していたと後から知らされました。個人的な感触もあり、どのタイミングとはっきり言うのが難しいのですが、予備校の内容や模試などに対して当初に感じていた隔たりも、縮まったと感じることが次第に増えていきました。
受験を終えるまでにはその後も困難の連続でした。各教科への分配、共通テスト対策、そもそもの受験校や受験制度、併願校をどうするのか。高3で成績がもう一度停滞したことや、入試期に体調を崩したこともあります。それらのエピソードそれぞれが似た状況の人の参考にはなるかも知れません。それでも、一番印象に残っているのが指導開始直後のエピソードです。似た状況に陥っている人が読んでくれればと思い、この合格体験記を書かせていただきました。